内海こう一
正式国名はエスパーニャ王国、イスパーニャの語源は「うさぎ」の意味。
王国だが王様には政治上の実権はない。日本の象徴天皇制とほぼ同
じである。 エスパーニャのスペイン語は「Re@no de Espana」
国旗は上から赤、黄、赤通称「血と金の旗」と呼ばれている。
国歌は曲のみで歌詞はない。18世紀にカルロス3世が曲を採用したと
言われている。国にはそれぞれ固有の歴史伝統あるのだが、日本との
関係をみるとヨーロッパの国々の中では深い方だ。
戦国末期東北の雄伊達藩主伊達政宗が使節団を派遣したことは歴史
的なことである。
面積は約50.6万Km2で日本の約1.3倍
人口 約4、600万人
首都はマドリード人口約313万人
軍隊は志願制である。現在 陸、海、空 合計147、000人の軍人が
いる。
1936年に成立した社会労働党、左翼共和党、共産党などの連立政
権(共和国)が成立したが、ヒトラードイツの支援を受けたフランコ将
軍の反政府勢力による軍事攻撃で共和国は壊滅した。
この内戦では約50万人が死亡、50万人がスペインを離れたと言う。
フランコ将軍は1987年死去するまで大統領を務めた。
スペインは、キリスト教徒が圧倒的に多いが歴史的にはイスラム教
の時代もあった。世界3大宗教キリスト教、イスラム教、仏教だが、他
宗教に最もおおようなのは仏教であろう。日本人はクリスマス、教会
結婚、神社の初詣など沢山の神様と仲良しである。
日本人のこの感覚を、ヨーロッパの人は「信じられない」と言うそうであ
る。キリスト教徒の人がイスラムのモスクで結婚式をすることなんて絶
対にないからであろう。仏教以外は、キリスト教もイスラム教も、宗教
を前面にだした戦争(実は領土獲得)の歴史である。
歴史科学的には、イエスキリストの父母ヨゼフと臨月のマリアがどこも
泊めてくれないので馬小屋でキリストを出産したこととされているが、
事実かどうかイエスの存在も馬小屋の話も証明されてない。
実際、馬小屋での出産は危険この上ないことである。処女懐胎なの
に夫ヨゼフいるのもおかしい。イスラムの教祖ムハンマド(モハメッド
)に神の啓示を与えた天使ガブリエルもその実在は証明されてない。
強国の王になったムハンマドの「創作」と言えないこともない。
イスラム教の豚肉を食べない習慣は諸説ある。ブタは中東には少な
い家畜で見たこともない人が多かったのではないか、ブタは多食多
産なので「質素な遊牧の民」には、不適だったのか、ひずめの形が、
羊、牛とは違うという説もある。とにかくこれほど非科学的なことは
ない。
キリスト教もローマ帝国3代コンスタンチノス皇帝によって帝国の宗教
に認められてから急速に広まったのである。
宗教への信仰は人々に「やすらぎと明日への喜び」を与えたことも確か
である。人々のキリスト教への厚い信仰によってもたらされた至高の芸
術的建造物、壁画、絵画には圧倒されるのである。宗教の疑問点をそ
のままにして、多くの人々が「とにかく神の存在を信じて明日への希望」
を持つのである。
しかしこのことは「幸せもあるが不幸でもある」人々の信仰心を利用し
て戦争を起こす政治家や独裁者が登場するのである。
日本は徳川時代265年間、戦争しなかったわけだから、素晴らしいこ
とであったと思う。
以上宗教国の旅行ではいつも感じることである。こと宗教に関しては
日本が一番よいと思う。
ツアーはJTB、カタール航空で行く「充実のスペイン」9日間ツアーコン
ダクターは美崎さんと言う、エネルギッシュで頭の良い30歳ぐらいの女
性だ。ツアー仲間は30人、カタール航空は初めてだが、機内食は往復
とも良かった。
成田 22:20 QR807 (12時間15分)
ドーハ 04:35 ドーハ発07:50
12月13日 マドリード 13:35 マドリード市内観光 プラド美術館、
王宮、スペイン広場、ショップ、プラド美術館はいわずと知れた世界的
に有名な美術館である。ルーベンスの「三美神」、ゴヤの「着衣のマ
ヤ、裸のマヤ」、グレコの「羊飼いの礼拝」、ベラスケスの「ラス・メニ
ーナス」など世界的に有名な絵画を直接見ることが出来た。ただ、時
間が短くゆっくり見ることは出来なかった。
プラド美術館近くのドンキホーテ・サンチョ像
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プラド美術館前のゴヤ像
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プラド美術館正面
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プラド美術館全景
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ホテル着 アウディトリウムホテル 夕食魚料理
12月14日 マドリードからバス アランフエス 世界遺産観光 王宮
トレド観光 サントトメ教会 大聖堂 旧市街散策
昼食タパス料理
コロンブスのアメリカ「発見」以降、世界各地にスペインは植民地を獲
得したが、前述の内戦や17〜18世紀の近隣国との戦争、モロッコ
の独立戦争などの打撃、フランコ独裁政権の孤立など「太陽の没す
ることなき帝国」として世界に覇をとなえた時代は消滅した。
今ではEUの中でもギリシャにつづく経済困難を抱えている。
失業率は25%というが、社会保障や医療などは日本より進んでいる
部分もあるようだ、EUの中では低いが労働者の労働時間は守られ
長時間労働は特別な仕事を除きない。ツアーの旅行中でもバスの
運転手の休息時間はきちっと守られているので安心して旅行でき
る。日本の戦国末期、先述の伊達藩の武士30人が、ローマ法王に
会うためはるばる日本から来たが、その間に徳川家康が天下をとり
キリシタン禁止令が制定されたため、帰国出来なくなりそのままスペ
インに留まった。彼らの子孫がセビリア地方に約600人いるそうで
ある。支倉常長は帰国したがお家断絶、幽閉されて非業の死を遂
げたが息子の代の時にお家再興を許された。セビリア地方に住む
日本人の子孫の習慣で正月に「餅」を食べるそうである。
アランフエス市街散策
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ユダヤ教徒街 迷路のように道が入り組んだ地域、1492年ユダヤ教
徒追放令まで、この地に住んでいた。
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トレド旧市街商店街
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ホテル着 ベアトリスホテル ポーク料理
12月15日 トレドからコルドバへ 284キロ ランマンチャ地方 ドンキ
ホーテと白い風車ドンキホーテの舞台となったコンスエグラ村は人口
8000人ぐらいの小さな町、11基の風車と城が丘の尾根に沿って並ん
でいる。風車の並ぶ丘はうずくまるドラゴンの背のように見える。なるほ
ど、ラマンチャの男が風車を巨人と思ったのも
わかる気がする。 残雪が馬のかたちに似ているので白馬の地名がつ
けられたなど自然のかたちから連想した物語も同じである。
歴史地区観光 メスキータ ユダヤ人街 花の小径散策
昼食(ロールカツ料理)後 バスでセビリアへ (142km)
メスキータはウマイヤ朝のアブド1世により785年に建設が始められた
25000人収容のイスラム教の大モスクであった建造物である。
コルドバを再征服したカトリック教徒による改造、その後カルロス5世
によって大聖堂に改造されてしまったが、元はイスラム教のモスクで
あった。イスラム教とキリスト教の文化が共存している建造物である。
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クリスマスが近いのでイルミネーションがきれい
ドンキホーテが生まれたラマンチャ地方の鐘
ドライブインで売られていたオリーブ
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メスキータの大モスク内部イスラム文化とキリスト教文化の混在
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旧石器時代のブルゴスの考古学的出土品、アルタミラ洞窟の壁画などスペ
インは古代から、人間が住みよい自然、土地であったようだ。
スペイン風邪は、アメリカの著名な学者による情報の「勘違い」が定着して
しまったとの説がある。スペインにとっては迷惑な話しである。
フラメンコの発祥はよくわかってない、似たようなダンスがアンダルシア地
方にあったとも言われている。「オレイ」のかけ声は、イスラムの「アラー」
から来たとの説がある。
闘牛は、作物の豊穣を祈願するそのお返しに神に牡牛を捧げる儀式が起
源と言われている。今は一部の場所以外は、本当に牛を殺さない闘牛に
なっている。牛追いのお祭り・トマトの投げあいの祭りなどの外、バレンシ
アの火祭りはキリストの父親が大工だったので木屑を燃やすのである。カ
ーニバル・派手な衣装で練り歩くお祭り、どこの国にも個性的お祭りがある。
ただスペインの祭りは国土の豊かさを感じさせる祭りである。
美術界ではグレコ、べラスケス、ピカソなど天才を生み出している。バスク
地方の都市ゲルニカをドイツ軍は空爆した時の悲惨さを表した「ゲルニカ」
はピカソの作品として有名である。
サッカーは言わずと知れた強国、レアルマドリードは世界トップ、テニスも
ナダルなど世界ランキング上位で選手は多い。オリンピックのレベルも
高い。
生活習慣では一日5回の食事をとる習慣がある。うち2回は軽食だが、
そのような習慣が出来たのは自然沃土に恵まれているからだろう。
国はそれぞれ固有の歴史を持つが、自然、民族の異なりを別にすれば、
宗教の違いが一番大きいだろう。
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フラメンコショウは予想していたより素晴らしかった。日本でもやってる
人がいる。
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ホテル着 ベルティスホテル 夜フラメンコショウとディナー
エビ料理
12月16日 バス セビリア市内観光、世界遺産大聖堂、世界遺産アル
カサル、ヒラルダの塔、黄金の塔、スペイン広場
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ミハスへバス (237km) 白い村ミハス散策
地中海が見える
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ランチ(至って単純な料理)
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グラナダへバス(160km) 地中海見ながら昼食
ホテル着 グラナダパレスホテル イカ墨料理
12月17日 グラナダ観光 世界遺産アルハンブル宮殿、世界遺産
ヘネラリーフェ庭園バス (529km)でバレンシアへ 昼食ガーリッ
クスープ世界遺産アルハンブル宮殿のうちナスル朝宮殿は、この地
を治めていた イスラムの王の執務室であったところで、神秘的な雰
囲気のある建物だ。
ライオン宮は噴水と丸い池のまわりに、12頭のライオンの像が配置
されていて宮殿の美
しさとあわせると美しいが、ライオンの像は猫のようにも見えたので可
笑しい感じがした。
諸王の間はナスル朝の10人の王の肖像が描かれていてイスラム教
徒による具象芸術とも言われている。
世界遺産ヘネラリーフェ庭園は14世紀に建設されたナスル朝の別荘
である。いたるところにシエラネバダ山脈の雪解け水を利用した水路
や噴水が設けられ、水の宮殿と呼ばれているそうだが、正にそのとう
りの美しい庭園だった。水が豊富の日本で、どうしてこのような庭園
が出来なかったのかと思うほどであった。
カルロス5世宮殿は 1526年カルロス5世が「新婚旅行」でアルハンブ
ル宮殿に宿泊した際に建設を決めたといわれている。建築好きのカル
ロス5世は、グラナダをスペイン帝国の首都とするに相応しい宮殿
を望んでいた。
最新のルネッサンス様式とし、資金はモーロ人から徴収することにして
が、モーロ人追放令などで中断され、完成したのは18世紀になった。
イスラム文化を基礎とした上に建築したわけで、異色な建物だが圧倒
的に豪華な建物である。
ヘネラリーエフ庭園 アルハンブル宮殿前
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イスラム模様の天井・壁画
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セェラネバダ山脈・この雪解け水がアルハンブル宮殿の生命線 ランチのパエリア料理
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ホテル着 マス カマレナホテル 夕食シーフードパエリア
12月18日 バレンシア観光 世界遺産ラ・ロンハ、大聖堂・バルセロナへバス(358km)
バルセロナ観光世界遺産聖家族教会・世界遺産カタルーニャ音楽堂 カサ・バトリョ サン・
バウ病院・大聖堂、ピカソの壁画
大聖堂は13世紀に半ばに建設が始まり14世紀末に完成した。17〜18世紀に一部改築が
加えられたというが、すごい建造物である。世界遺産ラ・ロンハはイスラムの王宮跡に15世
紀末に商品取引所として建てられたそうだが、透かし彫りの飾り窓、らせん状の柱が素晴らし
い。ピカソの壁画は、なんだかよくわからなかった。ブティクの建物の壁に、看板のように「あっ
さり小さく」描かれていた。
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スペイン黄色ポスト 市場チーズ買う
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地中海
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以下7点は有名なサクラダファミリア(聖家族教会)である
1882年建築家フランシスコ・デ・パウラの設計、これを引き継いだ
アントニ・ガウディの遺言で今も建築が続けられている。建築費は
観光収入に依存してるのだが、あと20年ぐらいとも言われている。
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サクラダファミリァ外壁の彫刻
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サクラダファミリァ内部のステンドグラス
33歳で死んだイエス・キリスト祈念数字
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サクラダファミリァ工事中の外壁 ガウディ設計の建物
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ピカソの壁画
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ホテル着 トリップバルセロナアエロプエルトホテル
12月19日 バス (60km)モンセラへ モンセラ観光 モンセラ修道院
モンセラ修道院が雲間にある
モンセラ修道院内の建造物
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モンセラ修道院内ステンドグラスや壁画
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バルセロナ空港へ 帰国の途へ
バルセロナ発 15:10 QR140 (6時間15分)
ドーハ着 23:25
ドーハ発 01:10 QR806 (9時間45分)
成田着 16:55 第2ターミナル解散