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旅の感想
ベールをかぶった神秘的な女性、メディナ(旧市街)やスーク(市場)の喧騒。
アトラス山脈の大自然。果てしなく続くサハラ砂漠。モロッコの景色は限りなく魅力的でした。
アフリカ大陸の北西端に位置し、チュニジアやアルジェリアと共にマグレブ地方(日の沈む地方)と呼ばれたモロッコ、イスラム教の国モロッコ、同じイスラムの国々とは一味違う親しみやすい人柄、緑豊かな農村風景など日本人が行く海外の観光地としてはあまりメジャーではないが、間違いなく行って良かったと思えた旅であった。
歴史概略
紀元前3000年頃には先住民族のベルベル人が住んでいたは史跡などで証明されている。紀元前12世紀にはフエ二キア人、その後はカルタゴ人、紀元前140年頃にはローマ帝国の支配が始まりその後約500年にわたりローマ帝国の支配が続いた。
7世紀にイスラム教が興りベルベル人をイスラム化していった。788年バグダットからきたイドリスがイドリス朝を興しイドリス2世が808年フエズに首都遷都した。
イドリス朝は958年にエジプトのファテイマ朝に滅ぼされ、974年にはスペインのコルドバを首都とするウマイヤ朝の支配下となる。1055年にセネガル人のユーセフベンがアルモラビド朝を興し首都をマラケシュに定めた。
1147年にはベルベル人のアブドルエルがアルモハッド朝を興し首都をマラケシュに置いた。 これらの王朝は北アフリカから南スペインまで支配し、スペイン文化の影響を受けた。スペイン風の建築や町並みが今も見られるのである。
1258年にはアルジェリア出身のベルベル人のマリーン朝にかわり、1465年マリーン朝が滅び、約100年の混乱の後1554年モハメッドェシュがサード朝を興しマラケシュを首都とし、スーダンからマリに至るまでの北アフリカ一帯を支配した。
1666年にはフエラリ人のムーレイラシドがアラウィ朝を興しモロッコを統一した。
フエズを首都と定めた。現在の王朝はこのアラウィ朝である。
1830年フランスはアルジェリアに侵攻し植民地とした。モロッコもフランスと戦争になったが敗北、1912年フランスの保護領となった。
第2次世界大戦後、1956年にフランスからの独立を勝ち取り、ベンユーゼフがモハメッド5世を名乗りアラウィ朝13代目の国王となる。
その後5世の次にハッサン2世が国王となるが2000年に死去、現国王のハッサン6世がアラウィ朝15代の国王となって現在に至っている。
2011年にチュニジアから始まった、アラブの春と言われる改革の嵐はモロッコにも押し寄せ、青年層中心の集会やデモの波が起きたが、国王側がいち早く議会の権限を強化するなどの、一定の譲歩を行い国民の不満を抑えた。
現在、政情は安定しているので、観光も心配なく出来る。
観光名所
カサブランカ
カサブランカのシンボルはハッサン2世モスク高さ210m、最大2万5千人が同時に
礼拝できるというアフリカ最大のモスクとして有名である。
ラバト
モハメッド5廟の霊廟があるモロッコの見事なモザイクを間近に見ることができるウダイアのカスバにはスペイン風のアンダルシア庭園もある。
メグネス
旧市街は世界遺産に指定されている。最初の王ムーレイ・イスマイルの霊廟がある。聖地ムーレイ・イドリスには白壁の家々が丘に密集している。すぐ近くにはボルビリスの世界遺産があるモザイク模様も残っているローマ時代の遺跡である。
フエズ
世界最大の迷路といわれるメディナは世界遺産に指定されている。周囲10Km以上といわれる旧市街を歩くと中世の暮らしがそのまま残されているようであった。野菜、果物、衣服、肉、パンなどそれぞれ専門店街の市場を眺めているだけでも楽しい。
砂漠地方
砂漠の町エルフードから4輪駆動車で1時間ほど南東方向へ行くとメルズーガの砂丘に着く、砂漠の砂は赤みを帯びている。砂丘が幾重にも折り重なる景色は筆舌に尽くせない印象である。日の出観光も人気があるが4輪駆動車にテントを積んで移動するツアーも人気があるそうだ。
カスバ街道
エルラシーディアからワルザザードまでの街道をカスバ街道と呼んでいる、カスバとは隊商の宿という意味であるからこの街道に沿って多数のカスバが点在している。カスバには世界遺産に指定されているものもある。
ワルザザードの近くにトドラ峡谷があり、200mを超える絶壁の迫力は圧巻である。街道沿いのオアシスからはナツメヤシやアーモンドが採れる。
マラケシュ
旧市街は世界遺産に指定されている。見所はジャマ・エル・・フナ広場である、昔は公開処刑場だったそうだが今は浅草と渋谷を一緒にしたようなにぎやかさである。バビア宮殿は国王が滞在していない時は内部を見学できるそうだが、我々のツアーは見学しなかったから国王が居たのかもしれない。
タンジール
モロッコの海の玄関口の港町、海の向こうはジブラルタル海峡を経てスペインになる、フェリーに2時間乗ればスペインである。天候が良ければスペインの山々が望めるという。
わずかな距離でもヨーロッパとアフリカに別れ、民族、文化ともそれぞれ異なった歴史をたどった。海沿いにはリゾートホテルが建ち並んでいる。
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