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トルコで学んだ世界の歴史    H20.5.31  半田憲治

 ウスクダラ ギデリケン アルドゥダ ビル ヤームル
 ウスクダラ はるばる  訪ねてみたら・・・・・・・
 懐かしい江利チエミの歌である。トルコ民謡をアメリカのアーサーキッドが歌い、さらに日本でも歌われたものである。

 トルコに行ってきた。イスラムトルコの異国情緒を気楽に楽しむ旅と思っていたが、実際には世界の歴史を学ぶツアーであった。昔々、若き受験時代、記憶項目の多い世界史を敬遠して日本史を選んだが、当時、トルコを旅行していたら、世界史恐怖症にならずに済んだかもしれない。

 トルコには10万年前の石器時代から現代までの遺跡がゴロゴロしている。トルコは長いあいだ世界の中枢の地であった。古代ギリシャ時代から始まり、一時、ローマに主席を譲ったが、間もなく盛り返し、第一次世界大戦で負けるまでその地位は続いた。この事実を理解している人は、日本のみならず世界でも、案外、少ないのではないかと思う。

 ツアーはまず博物館から始まる。10万年前の石器時代。地球はまだ氷河期である。1〜2万年前に、最後の氷河期が終わり、気候が安定し、農耕が始り、集落ができ、社会が構成される。古代4大文明のひとつ、チグリス川、ユーフラテス川はトルコから流れ出ている。太古の遺跡・発掘品はどこで見てもそれほど変わり映えがしない。しかしそれが「そこで発掘されたものである」となると、なんともいえず感激するものである。

 人が造った大型社会として最初に名を成したのが古代エジプト。そのあとが古代ギリシャ文明。これはエーゲ海文明という方が理解しやすい。エーゲ海の西側がギリシャ、東側がトルコ、あいだに沢山の島がある。これら全てが古代ギリシャ文明である。つまり古代ギリシャの遺跡がトルコに残っていても不思議はないのである。しかもギリシャ側に残っているものよりトルコ側に残っているものの方が保存状態が良く規模も大きい。しかし無知の私などが見ると「エッ何でこれがここにあるの?」という感じである。最高傑作はアテネとエーゲ海を挟んで対岸にあるエフェソスの遺跡である。古代都市がそっくりそのまま残っている。必見である。有名なトロイの遺跡もある。

 このあとがキリスト教の時代である。映画「十戒」で有名な、エジプトに隷属していたヘブライ人の出エジプト。ここで生まれたのがユダヤ教。ヘブライはその後ユダヤとイスラエルに分かれ、さらに両国とも滅ぼされ、民族は各地に散ったが、ユダヤ教の信仰で民族としての結束を固めてきた。ここからさらにキリスト教とイスラム教が生まれた。西暦1500年までがキリスト教の時代。苦難の500年。ローマ帝国で国教としての500年。そのあと、東ローマ帝国(トルコ)のイスタンブールが力を発揮した東方正教の500年。これでキリスト教独占時代が終了。

トルコには受難時代および東方正教時代のキリスト遺跡が各地に数多くある。一見の価値のあるものが多い。

 このあとはキリスト教とイスラム教の並走の時代。 前述に続く500年間、第一次世界大戦までは当時の世界規模大国オスマントルコのイスタンブールがイスラムの司令塔であった。大戦に負けてその地位から降ろされた。しかし世界の司令塔を1000年も維持したたのは世界広しといえどイスタンブールだけである。オスマントルコ時代の遺跡は華やかで規模も大きく権力を象徴するようなものが多い。

 ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も聖地はエルサルムである。そこで誕生したキリスト教はやがてローマで国教としての地位を獲得する。そのエルサルムとローマの中間に位置するのがトルコでありイスタンブールである。そんな関係でキリスト誕生期、国教になるまでの受難期にはトルコとの関わりが濃く、当時の遺跡がトルコに沢山残っている。聖母マリア、聖ヨハネなどとトルコとの関わりが云々される所以である。

 トルコの中央部にカッパドキアという所がある。世界各地によくある地球誕生過程でできた奇山奇岩地形のひとつである。ここはその景色が面白いこともさることながら、その地中にキリスト教の遺跡がびっしり詰まっていることで有名である。ひとつはキリスト誕生からローマ帝国が国教と定めるまでの受難の期間。奇山奇岩内の洞穴が隠れ教会、隠れ住居として使われた。洞穴とはいえなかなか立派なものである。ふたつめは、アラブなどのイスラム軍がキリスト圏を侵略し始めたこ頃。キリスト教徒はここに地下都市を造って隠れ住んだ。発見された最大のものは1万人以上もの人が住んだという。半年以上もここで生活した記録があるという。今までに拾数か所見つかっている。大体ここは農耕にも適さない火山灰地である。こんなところで人がよく生活出来たものだと不思議に思う。昔の人は今の人より知恵も体力もあり生存願望が強かったのかもしれない。

 キリスト教を国教として人心安定を図ったローマ帝国ではあったが、その広大な国土の統治には苦労した。やがて西ローマ帝国と東ローマ帝国に分かれる。これに合わせるかのように、キリスト教も東西に分裂する。西のローマと東の現トルコ・イスタンブールであり、ローマカトリック教会と東方正教会である。その後、西ではいろいろな新興勢力が力を発揮し、ローマの実力が政治面でも宗教面でも低下していった。これに比べ東のイスタンブールは安定して政治と宗教の中枢機能を維持した。

 しかしエルサレムでキリスト教を追うように誕生したイスラム教が着実に勢力を伸ばしていた。西暦1000年頃からじわじわ東ローマ帝国を侵食し始め、1500年過ぎにはイスタンブールのキリスト政権が敗北、オスマントルコの誕生となった。イスラムの世界規模国家である。この時東ローマの要請を受け、イスラム軍団に対抗すべく結成された応援部隊が旧西ローマ帝国に属する各国のキリスト十字軍である。米国のブッシュ大統領がイラク駐留軍を十字軍と称してイスラム諸国の総反発を食らったのは当然である。さらにこの十字軍はイスラム軍に対するだけでなく、助けを求めてきた東方正教会に対しても攻撃を仕掛け損害を与えた。キリスト教の身内戦争での劣勢挽回を図ったものである。つい最近、このトルコを舞台にした16世紀の事件について21世紀の政治と宗教の最高権力者がそれぞれ謝罪したのは記憶に新しいところである。

 ごく大雑把な印象である。日本人と外国人を比べた場合、人と人の関係において日本人はより人間的な自然体であり、多くの外国人は動物的である。動物的とは、機嫌のいい時、余裕のある時は愛想がよく愛嬌があるが、お腹がすくと、ビジネスになると、突然豹変して獰猛になる、の意である。 原因は民族の置かれた環境と歴史にあると思う。日本人は箱入り娘である。外から襲われたことが無い。せいぜいコップの中の嵐である。 外国の大半は食うか食われるかの民族対決を何回もくぐり抜けて現在がある。勝てば官軍、負ければ奴隷である。出エジプトのヘブライ人もトルコ人も隷属、軍事奴隷からの立ち上がりである。ローマ時代その他多くの時代が「負ければ奴隷」である。ナポレオンの時代になっても、長男以外は馬小屋で動物の世話をしながら寝泊まり、戦争になると消耗戦士として駆り出される。現在でも米国国籍を取るための米軍志願があるという。 エジプトやトルコで発見された遺跡発掘品が英、仏、独の博物館に飾られている。めぼしいものはそっくり持って行かれた。エジプト人もトルコ人もカンカンになって怒り心頭である。しかしそのトルコでは、英仏独系の民族を追い出してイスラムトルコが存在し、さらに追い出した先住民の遺跡で貴重な外貨を稼いでいる。これが彼の地の現実である。

 私は日本に生まれて良かったと思う。日本には民主政治や自由な気風があり健全な成熟状態にある。外国をみると自由な政治発言のできない国がなんと多いことか。現在の日本にもいろいろと問題があり、事件多発である。しかしこれは健全な社会にも必ずあるバラツキの範囲内だと思う。大局を見失わないようにしたい。

 トルコでは、人間が生きていくうえで大きく影響される政治と宗教の「世界の歴史」の縮図を見ることが出来る。トルコでは2010年を「日本年」にするそうである。ぜひ一度訪問することをお勧めします。



 

更新日:2008年6月11日
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