ダンスで会ったひと

尾崎  晃

 広いホールには、窓際に沿ってガラステーブルがいくつも置かれている。平日のせいかお客はまばらだ。 ホールの照明が落ちて淡い光に包まれると、窓際の長いカーテンがササーと音を立てながら開いた。対岸の 流れるネオンやホテルから漏れている灯りは、まるで演出された映像のように眼の前の暗い波間に映えて いる。波間に点滅する灯りにしばし吸い込まれそうに眺めていた。
 我に返るとステージの幕が揚がって、ドラムの重い金属音がホールの空気を振動させて突風のように駈け抜けていった。 
 演奏は、ピアノ、シンセサイザー、ギター、ドラムと豪華である。
 ダンスはテネシーワルツの甘い曲で始まった。外人歌手のライトイエローのロングドレスがスポットライトの光を浴びて眩しい。
 波間の灯りの余韻を引きずりながらステージに目をむけていると
 「お相手いただけませんか?」
と突然声を掛けられた。戸惑いながら
 「え、あまり上手くないですが……」
 凛とした顔立ちの中にやさしさが漂う人で、白地に薄い黒玉模様のレースのブラウスがよく似合う。断る理由は勿論なにもない。
 組んだ左手と背中にまわした右手に伝わってくる温もり、右腕の肩近くにそっと置かれた三本の指は何かを語りかけているようだ。いまだに下手なダンスしか出来ない自分だったはずなのに今日は違う。テネシーワルツの音の上を、すべるように、新しい曲線を描くように踊れたから不思議である。
 音をはずさず大きなステップで、流れるように踊っている。多分自分がリードしたのではなくリードされたのであろう。
 「あなたはダンスの先生ですか!」
思わず声がでてしまった。
  「いいえ」
 じっと見つめていると、穏やかな微笑みにそっと包みこまれそうだ。 グリングラスのルンバの曲に変わった。ルンバは全身を使ってときに柔らかく、ときにシャープに表現していくところが好きだ。思い切り腕をのばし、またやさしくとじていくイメージを、もうかなり練習してきたパートナーのように軽やかに動いてくれた。
踊り終えて、肩で激しく呼吸している自分を疑った。
  「少しお話ししましょうか」
手をとられてテーブルへ移動した。浮き立つような思いだ。
 「どちらからいらしたのですか?」  
 「自分でもそれがわからないのです」
 「え、ご冗談を……」  
 「ほんとなんです」  
 「私には不思議なプラス1日があって、1年が366日になります。
その1日の自分がここにいるのです。
 今日の自分には昨日もなかったし、明日もありません。ただ、今日を過ぎれば現実にもどります。少なくともこの余分な1日の自分の姿と時の流れに、新しい発見を求めているのです。こんな自分の相手をして下さって、本当にありがとう」
  はじめはあっけにとらわれていたようだが、私の話に親しみを感じてくれたらしい。
 それでは私のお話も聞いてくださいねと、
  「私の主人は幼い子供を残して亡くなりました。私は必死で二人を育て上げ、今は二人とも独立して彼らなりの生活をしています。育てる目標がなくなったせいか、いましきりと思うことがあるのです。 それは私が物心ついた時代のあたりです。
 私の父は戦死したと聞かされました。しかし、父の戦死日時とわたしの生年月日に疑問が残るのです。その意味がわかるようになったのはずっと後で、その頃には母は亡くなっていました。
  風の噂で私のほんとの父は同じ村にいたそうです。その頃私はどんな思いでいたのか思い出せません。思い出せても仕方のないことですが……、 
 小さな手鏡で自分の顔を見つめていると、その父は実はあなたのような雰囲気の人ではなかったのかと思い、ダンスのお相手をお願いしました。ひょっとしたら私と同じ村の出身ではありませんか」
  返す言葉が見つからずおもわず手を差し出した。 「初めてお会いした方にこんな私の身の上話をするなんて私って……、でもとても肩が軽くなりましたわ」
 「素敵な時間をもてて最高です」
両手で引きとめようとするのだが力が入らない。微笑みの顔はやがて遠くへ消えていった。テーブルには、水割りのグラス二つだけが寄り添って残っていた。

携帯の目覚ましで目がさめた。
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