認知症について考えさせられたロシアツアー
半 田 憲 治
|
平成18年7月にロシアのサンクトペテルブルグでサミットが開催された。かねてロシアを見てみたいと思っていたが、アメリカ並にテロに狙われる国なので二の足を踏んでいた。しかしサミットの直前なら、いろいろな煩わしさはあってもテロ対策は充分だろうと思い、行ってきた。
「百聞は一見にしかず」行ってみて、頭に入っていたロシアのイメージがかなり変わった。
まず住んでいる人の顔、形が違っていた。トルストイ、チャイコフスキー、スターリン、いずれも立派なひげを生やしたいかつい感じの男性である。この系統がメジャーかと思っていたが、そうではなく、中肉中背のプーチンタイプの方が多かった。
次は街の中で目立つ教会などの景色である。宗教はロシア正教、バチカンにも対抗するキリスト教の一大勢力である。ところが教会の姿、形が他の国のそれとはかなり異なる、アラビア風のネギ坊主スタイルである。聞いてみると16世紀まではトルコを始めとする中東やアジアの影響が大きかったせいだという。いわゆるヨーロッパ風になってきたのは18世紀になってからだそうである。共産党支配の時代が長かったにもかかわらず、熱心なキリスト教信者が多いようである。
仕事の関係でいろいろな国の人とつきあったが、日本と外国の違いの最たるものは宗教心のような気がする。彼らと話した印象では、信心深くならざるを得ない理由は生きていくため、つきつめれば生存競争とか戦争に勝つためのような気がする。日本人ほど宗教心が薄くかつ宗教にしばられない民族は世界では珍しい。日本は資源の少ない島国のおかげで、古来、侵略されたことが無いし、さはさりながら人々の生活はそこそこ成り立っていた、とてもラッキーな環境にあったおかげであろうか。
ロシアは観光資源が豊富で、大勢の欧米人がおしかけ、ちょっとした観光ブームである。しかしその割には受入れ態勢がいまいちである。現在はエネルギー大国として潤っているので観光なんか適当でいいということであろうか。
旅行中は30℃以上の晴天が続き、短い夏を効果的に楽しみたいのか、中年以下の女性のほとんどが、2006年ゴルフの宮里アイちゃんのようなへそ出しルックであった。流行は瞬く間に地球を一周するようである。
いわゆる旧ロシアらしいところもあった。それは入国手続き、乗換え手続きなどで、どこも長蛇の列、その効率の悪さは想像を上まわった。処理する人、対応する人は10人位いるのに、キリキリ舞いしながら忙しく立ち回っているのはただの1人だけ。他の9人は手持ちぶたそうにブラブラしたりボーとしているだけである。こちらから見ていると不思議な光景である。臨機応変とか、効率良くとかがうまく機能しないらしい。行列に耐えられない人にはロシアは無理かもしれない。
ところがここの入国審査で最初の事件が起きた。ロシアの入国審査官の直観力も大したものである。1人がストップさせられたのである。入国審査なんて審査官とニラメッコして通るだけで、特別なやりとりとか厳しい審査があるわけではない。ところが我らがツアーの1人がつかまったのである。この時のロシアルールでは、添乗員は最初に審査を受けなければならない、つまり後続のツアーメンバーがトラブッても手助け出来ない。仕方ないのでその後ろで待っている別ツアーの添乗員がアシストすることになるのだが、データー無しの白紙状態での対応となる。でもなんとかねばって通してもらったのだが、ひっかかった理由は分らなかった。皆でロシアはひどい所ねーとぼやいて終わったのだが、実はこれがその後に続発するトラブルの前兆だとは、誰も気がつかなかった。
そのあと観光が始まって間もなく二度目のトラブル発生。その人が行方不明になったのである。皆で探してなんとか発見。どうもこの人はおかしい、と思って見ていると、誰かが動くとフーっとついていってしまう。別のツアーでもドーッと動くと、何かに引張られるかのようについていってしまう。本人に注意しても、自分がおかしいという意識が全くないらしく、不満顔である。しかも私たちが仲間で、向こうは別グループだと本人はちゃんと解っているのである。面と向かって話をするとおかしな人とは思えない。仕方ないので皆でそれとなく注意しようということになった。トラブル続発。何回かは早期発見で事なきを得たが、一度は大変であった。とんでもない遠方まで行っていたのである。どこの観光地も大変な賑わいの人込みで、変な人の監視などと口では言っても実際には難しい。しかも出来るだけ本人の気分を害さないようにとなると、なおさら難しくなり、せっかくのツアー気分も台無しである。
先日自治会で認知症についての講演会があった。予想以上の出席者で、急遽会場を倍に増やしたが、それでも立ち見が出るほどで、自治会員の認知症に対する関心の高さがうかがえた。講師は病院の先生なので、話の内容はその病院の守備範囲内である。認知症は未知の分野で治療不可能なものが多いが、中には治療で良くなるものもあるので、早期に病院で検査を受けるのが良いとのこと。では多数を占める治療不可のものについてどうすればいいのか、これについては何もなかった。出席者には期待外れの雰囲気がただよった。
これが認知症をとりまく現実である。ツアーでのトラブルメーカーも、家族は解っていたのかも知れない。でも本人が勝手に旅行手続きをして、なおかつ家族の言うことを聞かない、あるいは家族も疲れ果て、短時間でも解放されたかったのかも知れない。「認知症の人とどう向き合っていくか」これは営利目的の事業体で解決出来る問題ではない。しかし今の状態では行政府にも期待出来ない。結局全て個人がしょいこまざるをえないのであろうか。認知症の講演会に大勢の自治会員が参加するゆえん、わけである。
現在、老衰とか認知症の介護では、いわゆる弱者側の人権とか人間性についてはそれなりの配慮がなされるが、お世話する側のそれについてはどういうものであろうか。介護することに生きがいを見いだせる人もいれば、それを苦痛に感じる人もいる。介護が現実の問題となって、外出もままならなくなる人が増えている。実際に昨日まで一緒に遊んだりボランティアしてた人が、そうなっていくのをまのあたりにすると、何とも複雑な気持ちになる。世界一の長寿国になったのはおめでたいことだが、加齢に伴う要介護者の増加という難問が個人の双肩にだけかかってくるというのは、コミュニティを作って生きるのが特徴の人間として、恥ずかしい限りである。なにかうまい仕組みを作れないものであろうか。
コミュニティとか他人をあてに出来ない現時点で、認知症とか加齢との戦いに一番必要なのは、個人の気合だと思う。映画ロッキーザファイナルのセリフにならって、「心は死なない」と、自分で自分に言い聞かせるのが、最も効果があるような気がする。当分のあいだは、これしかないのかも知れない。
以上
|
|
|