中国遼寧省撫順市近郷めぐりの旅                       

                            2011・6・26〜7・1   U K

     「平頂山殉難同胞紀念館」「遺骨館」
 平頂山村とは、製鉄業で有名な中国遼寧省鞍山から約120キロ北の撫順市郊外

にある村で当時約3000人の村民が居住していたとのことである。

 この事件は今から74年前に起きた日本軍による大虐殺事件で、「平頂山事件」と

言われている。当時、中国の東北部を占領していた帝国日本の軍隊が3000人もの

村民を一か所に集めて銃殺し埋めた事件である。

 その「平頂山殉難同胞紀念館」と「遺骨館」を参観した。鉄骨と石作りの立派な建

物で半地下が展示場になっていて1972年に開館した。

「同胞紀念館」入り口に置かれた大きな石作りのモニュメントには「3000」と大書し

てある。日本ではあまり知られていないが、「平頂山事件」とは日本軍による次のよ

うな虐殺事件である。
 
 1932に年9月15日、(旧暦8月15日)中秋節の深夜、遼寧民衆自衛軍(抗日ゲ

リラ)が撫順炭鉱を占領していた日本軍を襲撃した。

 日本軍は平頂山村を自衛軍が通過したにもかかわらず、村民らが日本軍に報告し

なかったことから「通匪」(匪賊のスパイ)と決めつけ、村ごと燃やし尽くし、殺し尽く

すことを決定した。 9月16日の午後、日本軍と憲兵、警察、炭鉱守備隊ら数百人

が平頂山村を包囲し、一軒一軒の家をまわり「写真を撮るから」と村民を村の西に

ある平頂山の麓に集めた。 

 集まって来た住民たちには、被いの下にあるものは写真機だと思わせていた。
 
 機関銃が一斉に火を噴き、3000人もの村民を銃撃した。日本軍はまだ息のある

者は幼児や妊婦も容赦なく銃剣で刺し殺したという。
 
 虐殺後に死体を焼却し、平頂山の山肌を爆破して埋め、証拠隠滅を図って国際

的非難をかわそうとした。当時中国の新聞が「平頂山事件」を報道し、国際連盟理

事会で取り上げられたが、日本政府はその事実を全面否認、虚偽報道であり「事実

無根だ」と押し通した。当時政府の陸軍次官が関東軍参謀長にあてた「事実は否

認するを要す」との命令電報が残されている。 

 祖父母に抱えられ生き残った3人(楊宝山9歳、莫徳勝7歳、方素栄4歳)

が日本の裁判所に訴えを起こした。

 最高裁は「平頂山事件の日本軍による虐殺の事実は認めた」が「賠償は却下」し

た。最高裁が賠償を却下したのは、「1972年の日中国交回復と共同声明の交渉」

で戦争に関わる賠償問題は解決済みであると認定したのである。

 1970年から遺骨の発掘を始め、殉難者の遺骨が掘り出され、そのままの状態

で保管・陳列する「遺骨館」が1972年に開館したものである。

 100メートルにも及ぶ銃殺された人々の重なり合う遺骨が恐怖と無念の叫び声

をあげているように思えた。

    「撫順戦犯管理所」

     その後、「平頂山殉難同胞紀念館」「遺骨館」の近くにある「撫順戦犯管理所」を

    見た。そもそも「撫順戦犯管理所」は、日本が中国侵略に抵抗する抗日分子や政

    治犯などを投獄するための刑務所として造ったものである。
     
     中国解放後の1950年に「撫順戦犯管理所」として設立され、約1000人の日

    本人戦犯が収容され、「侵略戦争の誤りを教育し、反省させるための施設」とな

    った。悪いのは日本軍国主義であって、日本国民ではない」と言う立場で、中国

    政府の寛大な方針によって、「極刑を覚悟していた」戦犯幹部も含めて全員が釈

    放され、「撫順の軌跡」と言われた。

     清朝の最後の皇帝で、日本の傀儡国家満州国の皇帝、ラストエンペラーと言わ

    れた「愛新覚羅溥儀」も収容され教育を受けて釈放された。 
     
     当時のまま広い平屋の建物が保存されている。食堂・浴室・娯楽室・運動場もあ

    り、医療も行われた。戦犯たちが使用した日常生活の様々な物、書籍、作文、写

    真などが展示されている。

     
「九・一八事変博物館」

    「九・一八事変博物館」は1931年9月18日、日本軍が南満州鉄道を爆破した柳

    条湖事件(いわゆる満州事変)の勃発地に建てられた。当時この事件を契機に日

    本の中国侵略は本格化し、翌年日本の傀儡国家の満州国を建国した。
    
    立派な石作りの建物である「九・一八事変博物館」の入り口には、爆弾の形をした

    大きな石作りの建造物がある。そこには「1931年9月18日、忘れる勿れ」と大書

    してある。博物館の地下の展示場には日本軍国主義侵略軍の野蛮な侵略、非人

    道的な行いと支配の様々な資料、写真、塑像などが展示してある。
    
     また、満州鉄道、関東軍、偽満州国などの実態もその資料が展示されている。
    
    日本軍国主義侵略軍と戦う中国抗日戦士や人々の写真や資料も展示してある。 
    
     細かく見ていると半日で見きれないほど多いのだが、閉館時間に近いため会館

    職員にせきたてられてゆっくりし見ていられなかったのが残念であった。
    
     現在の日本では中国脅威論が強調され、歴史の真実を直視せずに、侵略戦争

    の事実を否定、正当化が進んでいる。また近隣国への対立的感情が醸成されて

    いるように思う。近隣の3国と領土紛争を抱え平和解決の兆しは見えない、戦争

    できる国家体制に進んで行かないことを願っている。

     他国を侵略し中国、朝鮮などアジアの諸国民、二千万人の命を犠牲にした絶対

    主義の天皇制と日本軍国主義は、日本国民三百万人の命をも犠牲にしたことも

    歴史の真実である。偏見、先入観なしに事実を認識したいものである。


     「冰峪溝ツアー」

    
    頭に溢れ胸が痛くなるほどに悲惨なものばかり見てきたので、自然景勝地を観光

    しようということで、「冰峪溝」を見学した。
    
     遼寧省南部の「小桂林」と言われる景勝地である。散策したり、遊覧船に乗ったり

    したがあいにく霧や小雨と曇空で、展望はあまり良くなかったがまあ楽しんだ。
    
     遊覧船に同乗した中国人の底抜けに明るい笑顔が印象的であった。大声でかけ

    合ったり笑いあったり、中国語ができる友人が聞いたところ同じ遊覧船に乗り合わ

   せただけとのことであった。時々見かける日本に来ている中国人の様子とはかなり

   違う感じがした。今回の旅行は、現役時代の友人4人で、航空券とホテルは日本の

   大手旅行社に、現地プランはこちらで立て、現地の中国旅行社のガイドと車で回った

   のでいつもより少し高めの費用になった。