オランダ・ベルギー秋の旅 


絵(水彩)・文  大曽根 悦朗

 2009年10月15日〜22日、の「オランダ・ベルギー秋の旅」に、例によって妻に連れられて出かけた。
 今年6月「スイス3大名峰を訪ねて」に続いての2回目の海外旅行。是非一度スイスへ行きたいというお願いにさすがに折れた。もともと海外旅行はあまり興味が無かったので、留守番するのがお役目だった。しかし、今回のスイス行きは大きな転機を与えてくれ、風景画と紀行文を書くという10年前の目標を叶えてくれた。
 さすが今年2度目となると話は変わってくる。言いだしたときは、分不相応というか、冥利が悪いというか、呆れるやら腹立たしかった。
 来年度分の前借りであると頻りに主張している。最後には負けてしまった。それが、スイスで得た成果をはからずもテストする絶好のチャンスになった。
 相変わらず、旅行の中身をほとんど理解していない。旅行情報誌をざっと読むくらいでは頭に入らない。風車、ワッフル、ビールそしてゴッホぐらいの認識しか無かった。5ヶ所の美術館巡りと旧市街の広場散策などがあるとは、あまり考えてもいなかった。それでも新しい体験が出来るぐらいの思いはあった。後で思い返して、美術館、広場、旧市街、景色、秋の気まぐれ天気などの組み合わせは絶妙であったし、絵を描くという大きな収穫をも与えられたのにはあらためて感謝している。


 快晴の朝。10時集合には余裕の前泊ホテルをチェックアウト。40人の大きな集団だったが、参加者は全員ツアー慣れした人たちで、ほとんど最後までノートラブル。
 オランダ航空機内は満杯。空席がないので12時間の難行苦行が思いやられた。じっと、狭い座席の間隔と幅には耐えるしかない。これで、エコノミークラスの海外旅行は最後にしたいという思いがしきりにしていた。
 前回のフィンランド航空機は、行き帰り空席があり足を伸ばしたり、寝ころんだりすることさえでき、狭い空間の中でも気分転換ができた。しかし良いことばかりではない。やはり餌は良くなかったのはしかたがないと諦めもつく。今回のオランダ航空は、反対に餌が良かったのは救いではあった。

 スキポール空港には一時間以上早く到着したのは助かった。空港の外は北国らしい雰囲気が漂っていて、薄暗い曇天、冷たい風も強い。何時雨が降ってきてもおかしくない。早速、ウインドブレーカーを着込む。最初の宿は、郊外(ノールトウイッカーアウト)で雨さえ降ってきた。この時期、晴れていても雨具は必需品だというのが最初の学習だった。
 町を少し外れるとそこはフラットな畑が広がっていて、ゴッホ初期の風景画のように一面焦げ茶色の配色である。5月はチューリップ畑でカラフルだそうだが想像できない。ベストシーズンを外すメリットは何処も空いていることと旅行代金が安いことだ。デメリットは花のシーズンという一番の売りは諦めなくてはならないが、美術館巡りがメインだと思えば最高のタイミングだ。

 さあ、ツアーの始まり。宿を出るときは雨模様。この季節1日で晴れたり、曇ったり、雨が降ったりと何回も急変するらしい。天気予報も、晴れ、曇り、一時雨と言っておけば外れることは無いらしい。それさえも見学時には雨から免れたいものだと願わずにいられない。ハーグ市内に入ると雨は止んでいる。フェルメールで有名になったマウリッツハイス王立美術館見学が最初の目的地。美術館は皇室の館を美術館にしたもので、現在外装工事中のシートで美観が阻害されている。完全な姿を写真に納めるのは次の機会まで諦めた。
 美術館の裏に回ると、素晴らしい景観が展開されている。13世紀に建てられた国会議事堂(ビネンホフ)をバックにして、全面に池が広がっている。その水面に、国会議事堂が映し出されている。今回最初のワンダフル。ゴシック形式建築の複雑さを到底描写できそうもないので早々に諦めてしまった。
 美術の課外授業なのか少年・少女たちと一緒になったが、日本の子どもに比べて、騒々しくなく感心していた。躾けられているのが嬉しい。
 フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が目の前にある。肌はひび割れしているので、少女という印象ではないが、少し離れると皺は目立たないので少女に見える。どの角度からでも、自分を見つめてくれるので思わず嬉しくなってしまう。シーズンオフであったので自由にゆっくりできるのは、なんと言っても最高だ。
 日本で開催された西洋名画展覧会の流れ方式に比べて、顔を10センチぐらいに近づけても文句はでない。但し写真は厳禁。部屋にはかなりの数の黒い制服を着た監視員が見張っている。絵画は、外貨獲得の重要な資源になっているのは容易にわかる。以前チューリップだけが売りだったときは、春しか観光客が来なかったのが、フェルメールが脚光を浴びるようになり、通年観光客が押しかけてくるようになったとのこと。フェルメールでは珍しい風景画(デルフトの眺望)の絵はがきを入手して満足だった。家内は、「真珠の耳飾りの少女」を何枚も買い込んでいた。
 ハーグを出るころは、時たま晴れ間も顔をだす。本当に気まぐれだ。何を置いても雨具だけは忘れてはならないのが身にしみて知らされる。
 昼食は、北海に面したレストラン。歩くだけでも冷たい強風に悩まされる。大がかりな堤防に沿ってレストランや観光施設が作られている。夏は海水浴を楽しむ海岸が、海一面に白波に泡立っているのがレストランからも窓ガラス越しに見える。
 鰊の開きのフライは油と脂がきつく、日本の干物と違って食べるのには、朝飯をたっぷり詰め込んだ腹にはかなりの努力がいる。あちこちで食べ残しの残骸が目につく。デルフト市内の水路
 デルフト焼(ブルー一色の陶磁器は有田焼の影響を受けている)で有名な陶器工房見学のときは雨はすっかり止んでいた。絵付けの工程の次は、商品展示売店とつながっている。観光客を虜にする手順はどこも同じだ。
 そして旧市街の見学。旧市街というだけで何となく古き良き時代に会えるのでは楽しみになる。張り巡らした運河と道路、運河沿いの並木、赤みがかかった黄葉は絵になる。紅葉ではない。初めてのオランダらしさに、変化に富んだ建物を配した良い写真スポットはないかとキョロキョロ。有名な魚料理の屋台には、カラフルな魚が並んでいたが食欲まで刺激される程ではなかった。どうしてもグループから遅れがちである。フェルメールの生家の説明を聞き逃してしまったのは、はなはだ残念だった。
 マルクト(広場)に出たときは驚きだった。ゴシック形式の壮麗で派デルフトの旧市庁舎手な建物に広場の周囲は囲まれていて、観光客が溢れている。こんなに中世的な建物や記念碑が残っている(残していると言った方が適切だろう)のには敬意を払わずにはいられない。それも、今でも建物は生きている。市庁舎からは、新郎新婦が式を済ませて出てくるところに出会った。子どもたちが、今か今かと花のアーチを持って待っている。聞くところによると、新婦が学校の先生であるらしい。納得である。もはや、日本では絶対に見られない光景だ。小学校低学年、先生がお嫁にいくときに送ったことが、セピア画のように思い出していた。
 また雲行きが怪しくなってきた。馬車も客待ちしているがお客は捕まりそうもない。新郎新婦を何とか写真に収めようと、俄カメラマン(私を含めて多くは日本人)が待ち伏せしている。ドレス姿の新婦はさすがに寒そう。これも景色のワンポイントになる。
 バスへ戻りかけたとき、怪しそうだった空から強い雨が突然落ちてきた。女心より変わりやすい天気である。傘をウッカリ置いてバスを降りてしまった。晴れているからいいかと面倒に思ったのが運の尽きだった。それでも、バスまで帰り着いたときには止んで太陽が出てきた。雨具は常に携帯しなくてならないとあらためて思い知らされた。

 風車群で有名なキンデルダイクに着いたときには雨雲は去ってしまっキンデルダルクの風車群ていた。大きな河は地面より上を流れている。住宅は確かに河より低い。川や池は静かに出口が無く澱んでいる。芦原に風車が点在している。昔の名残として観光用に保存されているのだろう。エコエネルギーとして最高だ。水力発電をするダムは造れないので、風は重要な資源だといえる。オランダは、土地の有効利用可能率は約90パーセント(正確か怪しい)とすると、日本で考えると、大雑把にみて領土的に2倍以上になる勘定だ。

 ベルギーのブルジュへは3時間のバス移動。アムステルダムを出発して半日でオランダを縦断してしまった勘定になる。もっと大きな国だと思っていたのは、知識不足も甚だしかった。オランダ、ベルギーの地理学的な大きさが初めて実感できた気がしている。すると小国の戦争の悲哀と世界をまたにかけて活動した躍動感が、歴史の中に現れていると思えてならない。ブルジュ夜のレストラン
 ブルジュに着いた時は夜八時近く、真っ暗な空から頻りに雨も落ちている。広場のライトアップされた噴水が出迎えてくれた。
 これから外のレストランでの遅い夕食。旧市外は人通りもほとんど無く、少ない照明が、石を敷き詰めた凸凹道やレンガ造り建物の外壁を照らしている。大きな集団であるのは大きな安心感がある。外からレストランの中が丸見えだ。難しそうだが絵に描けないかとしきりに唸っていた。
 水路沿いの室内からは、外が照明でよく見える。じっと目をこらすと白鳥たちがじっとしているのも見える。仄かなローソクの光、使い込んだ室内、テーブルや椅子など、料理に一味違う味付けをしてくれる。その雰囲気を味わっているのだ。
 帰り道、ライトアップされた教会や尖塔、船着き場が黄金色に輝き、小さなホテルの中も暖かい雰囲気を漂わせている。何とか絵に出来ないかと盛んにシャッターを押していた。


 翌日ホテル前の広場は、雨が上がったばかりでテントを設営する人が忙しく動いている。明らかに西欧人ではない人たちが目立つ。今日は土曜日で自由市場の開かれる日であるらしい。何となく興味がそそられる。のぞいて分かったのは、雑貨と衣料品が多いことだ。急に興味がそがれてしまった。絶対、中国製に違いないと思うと見る気持ちも薄らいでいた。
 白日の下で見ると薄汚れた石造りやレンガ造りの建物、石畳の狭い凸凹道。印象はどうしても普通にある景色に思えてくる。
 旧市街の広場へ向かってぞろぞろ歩き出した。昨夜のライトアップされていた小さなホテルの前にきた。あまりにありふれた印象で、絵にする気が萎えていた。マルクト広場は、前日見たデルフトのマルクト広場とあまり変わりばえしないと思ってしまった。高い教会の尖塔、庁舎の建物、モニュメント、一つ目に付いたのはワッフルやフライドポテト屋台が多いことだ。
 運河沿いに歩いて行くと、家内が突然、「あのボート屋さんを知ってブルジュ水路遊覧いる」と言いだした。NHKの特集番組(ヨーロッパ水紀行:ブルジュ編)で花のあるボート屋さんとして紹介されて、一度は訪ねてみたいと憧れていたのだ。あの時の老船長がいないかと橋の上からしきりにのぞき込んでいる。どかっと座り込んでいるのを見かけ、それだけで満足そうだった。
 修道院の中を通って、愛の泉に出た。小さな池になっていて、白鳥や鴨が群れている。その間を、ときどき二十人ぐらい乗った遊覧ボートが静かな水面にさざ波を立てて過ぎる。季節的に、ラストチャンスに近かったらしい。我々が乗船したのは、老船長のいるボート屋さんではなかったが、期待が膨らんできた。何か新しい発見があるのではとわくわくしている。水路から見る建物やあたりの景色は陸から見るのと違った趣がある。ドーム型の橋の下を潜り、右に左に水路を滑るボートからはシャッターチャンスだらけだ。ボートを橋の上から見るより、乗船しているボートから見上げる方が優越感があるのは不思議な心理だ。昨夜のレストランの前景が目に入ってきた。牛肉のビール煮を思い出した。期待の半分ぐらいの味だったが、ローソクの淡い光の雰囲気がやに印象に残っている。
 突然、大粒の雨が降ってきた。自前の小さな傘など役に立たない。備え付けの大きな傘が配られ、一斉に視野を塞いでいく。あまりに激しいので、橋の下で雨宿り。橋の下から雨の景色なんて洒落ていると思い、写真に収めたが雨の感じが現れていないので諦めるしかない。小降りになった途端、トンネルから一斉にボートが出てくる。一週30分の船旅、悪くはない。
 水路にはゴミ一つ落ちていないのに感心していた。どうしてゴミが浮いていないのか不思議だ。家内は、毎日、朝晩ボートでゴミ拾いをしている場面を、NHKのTV放送で覧ていた。落ち葉や道路に落ちたゴミが結構あるらしい。納得。
 下船際に、チップ一ユーロを渡す。家内は、頭から出す気が無いらしい。どうして渡さなくてはならないのか納得できないらしい。ボート屋の入り口に、チョコレートドリンクの美味しい店があると聞いて、結構入っていく。家内は、来る前から「ビールとグラスのセット」をどうしても買うのだと決めていた。酒屋を探して歩きだしたが、観光情報案内図のとおりには見つからない。本場のワッフルを食べないのは遙々来たかいがないとばかり、焼きたてのワッフルにアイスクリームを乗せたものに目が移ってしまった。先ずは食欲を満たしてからと飛びつく。五ユーロ、約七百円。日本でなら七百円出してワッフルを食べるかなと思いつつ、かぶりついた。バター風味の焼きたてワッフルにアイスクリームがしみこんで美味い。満足、満足。結果的に、2人で一個なので安くあがったのでなおさらだった。
 広場への集合時間は迫ってくる。諦めかけたとき突然、酒屋のショーウィンドーが目に入った。銘柄は目移りするぐらいある。地ビールで300種類はあるらしい。味で選ぶなんて到底できないのでビールのラベルのデザインとグラスの格好が決め手になった。
 中身の入ったビールは小瓶といえども重いので、2本ぐらいが限度。飲んでしまうのも一つの方法だが、何となくもったいないと結局水の分まで運ばざるをえない。飲んだ後が、飾り物になる。何となくブルジュでの目標は達成できた。広場は、休日のせいか人で溢れていて、屋台で買ったポテトフライなどを食べている人が多い。ハトがおこぼれを狙ってしきりに近くまで平気で寄ってくる。
 昼食は、鳥肉のもものフライ。それも大きい。初めから完食できる自信がない。一口食べて、あまりにもパサパサしていて味も薄いので、完食はすぐ断念。それにしても、デザートのアイスクリームは何処に行っても口に合うのが救いだった。

 ベルギーの首都ブリュッセルへ向けてさあ移動。今日の午後のメインは盛りだくさんだ。王立美術館は明るい現代的なビルで、古典から現代までをカバーしている大きな美術館。名画より面白かったのは、100人以上の人が動き廻っているその時代背景を映した絵画である。排泄している姿が説明を受けないと分からないくらい小さく描かれている。立ちションベンをしている人。ひどいのは大をしていてそれが山盛りになっている。まだ下水設備が整備されていなかったその時代の生活がよく分かる。従来の名画と全く違う時代背景だ。市民が絵画の主役になっている。落ちたイカロス、一見猟師風のイケメンバイオリニストなどは誰も前に立っていない。日本に来たときは大人気であった。流れ作業的にその前を通過したのを覚えている。風変わりなのはムール貝が額縁一杯に貼り付けられたのも絵画だと言われても、日本なら絵画と到底認められないと思う。日本ならハマグリかアサリといったところだろうが。誰も考えそうもしないことを初めにやったことが価値があるのだろうか。大型のエレベータの中に10脚ぐらい椅子があるのも芸術作品なのかもしれない。
 世界遺産グランプラスはさすがに人出が多い。自由時間の解散前、「特にひったくりには注意してください」と何度も言われると、何となく顔つきだけで胡散臭そうに見えてくる。案内人についてぞろぞろ日本人が経営しているチョコレート屋へ。「ベルギーで最も有名なゴディバのチョコレートより美味しい……」という誘いについて行く。いかに美味しいと言う言葉に弱いことか。貴重な少ない自由時間を浪費してしまったのはもったいなかった。
 家内がグランプラスでやりたい最大の目的の一つは、ブリュッセルの守護神セルクラークのブロンズ像を触ることだった。触るだけで幸せになると、いつも人だかりしていて証拠写真を撮るのが大変だ。負けずに、人だかりがしていない隙に何回も触ってみた。良いことがあるかもしれないと。人の手で磨かれてぴかぴかだ。なぜなぜする習性は世界共通なのだろう。グランプラス裏通り
 次の家内のターゲットは、小便小僧のトランプ。一枚ごとに違った衣装を着た小便小僧で有名になっている。世界一衣装持ちである。売っているのが、小便小僧の近くの店屋にしかないと必死に探している。何しろすごい人混みで買うのも大変だが、二組ゲットできたとご満悦だ。
 今日最後のお楽しみ、ムール貝のバケツではないがボールに一杯で約30〜40個はあるだろう。初めに食べ方の講釈から始まった。ある人は貝の半ペラでほじるとよいと言えば、一斉にほじっている。はさみのようにして挟んで食べるのが正解のようだ。完食した人はいなかったのでは。食感は全体が柔らかで、日本の貝と違って歯ごたえはないので食べ易い。しかし、だんだんウンザリしてくる。もういいよというところだ。
 ライトアップされた広場の夜景は、空に向かって突きだした建物の屋根や尖塔は黄金色に照らされていて、食後の素晴らしいデザートであった。
 最後に、小さなホテルのロビーで起きた引ったくり未遂事件のオマケまで付いた。人混みでなく人気の少ないところでは穴場なのかもしれない。盛りだくさんな一日だった。

 次の日のベルギー南部巡りは、アルデンヌの森観光。第二次世界大戦の映画で覚えていた地名で、連合軍とドイツ軍の死闘があった。響きがいいというより、暗いイメージが付きまとう地名だ。南下(フランスに向かって)するに従って、雲が濃くなってきた。今日も雨が降るのかと悪い予感がする。そして、辺りの景色がまるで見えなくなっていく。濃霧の中に閉じ込められてしまった感じだ。
 最初の目的地、ディナンはミューズ河の河岸に開けた細長い町だ。夏には河船が下流のフランスと行き交っている。今は船は係留されて靄っていて、人もまばらで何しろ寒い。逃げ場所として、ノートルダム教会が最適だ。ノートルダムという名前がよくでてくるので、不思議に思っていた。ノートルダムはフランスが本家と思っていたのに。後で判ったのだが、ノートルダムとは聖母マリアを祭った宗派ということを知ったが、お恥ずかしい限りである。
 トランペットを発明したアドルフ・サックスの生まれたところでもあり、道ばたのベンチには肩を抱いたようなポーズを取って座っている。女性軍は抱かれたいと順番待ちしている。ハイ、ポーズ。
 次に訪れたヴェーブ城は、城主の避暑や狩りのためのお城である。おとぎ話に出てくるような姿をしているのが売りになっている。外観は何の飾りもなく、お城本来の機能である「住む、守る」の実用を主にした造りである。丸いとんがった塔や丸みを帯びた外観は、おとぎ話に出てくるような姿で、靄の中でシルエットに包まれてボーとした感じがよけいに神秘的で甘い印象を与えてくれる。室内の質の高い家具や装飾を見る時間が無かったのは残念だった。
小さな村デルビュイ トイレもシーズンオフで閉鎖されてしまっていて、早々に次のデルビュイに向かう。山の中の別荘型のお城を中心とした世界一小っちゃな村と言われている。村を一周するのに20分もかからないのではないか。それで、どうして人が集まってくるのかと考えてみたが、昔の山村の姿が残っているからだろうと思うが、少し観光化されているのはやむを得ないのかもしれない。土地の物でもないかと、村のお土産屋をのぞいてみた。いろいろな種類のジャム、蜂蜜、フルーツケーキ、ドライフルーツなど、種類が豊富で安い。見た目、黒いがいろいろな木の実の入ったフルーツケーキを二本買ってみた。他では見かけなかった。帰ってから蒸して食べたが、微妙な香りのハーモニーを奏でてくれた。
 ジビエ料理と残された集落のたたずまいが売りである。ジビエ料理は鹿、鴨、ウサギなど狩猟で捕った獲物の料理であると聞くと、余計に興味をそそる。実際に出てきたのは鴨であった。どうも太り過ぎて、脂っぽい気がする。鴨が、これほど捕れるのだろうかとつい考えてしまうのは悪い癖であろうか。
 それに対してモダーブ城は、外観は美しく洗練された都会的なたたずまいである。戦争という考えはその姿にはない。住んでいたままに近い状態で保存されている。最初の部屋には、豪華なテーブルセットが広いテーブルの上に広げられている。トイレ、風呂、化粧室、地下の厨房。別棟の馬屋がそのままに残っていて、城内の生活の様がリアルに伝わってくる。暖房設備がないので、冬の寒さが思いやられる。陽が傾きかけてみるお城の外観と庭園は美しいが、整然とし過ぎていて絵になりにくい気がしていた。何となく夕飯の中華料理に期待が膨らんでいく。豪華なテーブルセットを見たからだろうか?
 ブリュッセルの中華飯店へ。慣れ親しんだ日本的な味に期待が大きければそれだけ落胆も大きかった。全てのテーブルで残っている。全体に薄味で、アクセントのある味とは言えない。ここまで来ると、食事にはあまり期待しなくなっている。こんなもんだと。帰り道は、グランプラスの昨夜とは別の道を通ってバスまで辿り着いた。夜景のデザートを噛みしめていた。中華料理の味への拘りは消えていた。相変わらず大変な人混みだ。

 今日は午前中でベルギーを後にして、オランダへ向かう。アントワープは、河船用の停泊地として発展した町だ。河沿いにあるステーン城はこじんまりとした感じだ。船の往来を監視していたのだろうか。商業の町として代表的な肉組合(市場)の建屋が今でも残っている。広場には、手首を遠くに投げようとするモニュメントが空に向かって建っている。通行税を払えない人の手首を切った巨人を退治して、その手首を河に投げ込んだと言う伝説に基づいていると説明がありやっと分かった。
 ルーベンスの絵画で有名なノートルダム大聖堂の中は、ある種専用美術館といえる。聖堂の南側には、筋骨たくましいキリストが処刑後に十字架からおろされる姿。北側は、十字架にかけられる場面。正面と円い天井の天辺には聖母マリアとキリストの復活。まさにキリスト教の一大聖地である。
 教会の床には、かつて聖人たちの棺が収められていた場所があちこちにある。聖人の棺の上を歩くという宗教的な意義があったのだろう。今は、異教徒の観光客も多くなり、棺は他に移されているとのこと。ここは、フラッシュ・オフで撮影OKであったが、光の関係でどうも上手く撮れない。結局、入り口の売店で絵はがきを買うことになる。
 正面扉を出ると、フランダースの犬のモニュメントが置かれている。説明が無ければ、どういういわれの石か気が付かない。単なる石のベンチである。現地の人は、フランダースの犬の物語を知る人は皆無であった。ところが、「ネロとパトラッシュには何処で会えますか……」と聞く日本人があまりにも多くて、観光用になると思って急遽設置されたものだそうだ。アニメでは、貧しい少年が犬と一緒にルーベンスの絵の前で死んでいたというイギリス人の書いた物語。ここがその教会だとは思ってもいなかった。日本人の物語と現実を結び付けてしまう情感は、スイスのハイジの村と同じで大挙して押しかけていくエネルギーと同じで、お人好しというか微笑ましい限りだ。
 昼食後、3時間でアムステルダムのゴッホ美術館前に到着。美術館に行くか、アンネの館へ行くかは自由。迷わず美術館を選んだ。ここまで来て、ゴッホを選ばないと悔いが残るだろうと咄嗟に思った。一切撮影禁止。同じ作品(馬鈴薯を食べる人々)でもその過程の作品が陳列されているのは面白い。3時間で見切るのは初めから無理だ。何とか画集を手に入れたいと思いながら見て歩いた。何となく知っている作品の前では、分かったような顔をしてうなずいている。新館には、現代作家の絵が陳列されているが、どうしてもペースが速くなる。今、ほとんど思い出せない。消化しきれずに飽食してしまったのだろう。
 最後の見学は売店である。頻りに歩き回っていると突然、250頁のゴッホの日本語版画集に出会った。初期の作品から最晩年の作品が年代順に解説付きで網羅されている。定価日本円で1900円、見切り品として10ユーロ(約1400円)、思わず何てラッキーと口ずさんでしまった。重さ2キログラムは帰りのトランクの重量制限に重大な問題だが、トランクの中身を手荷物に入れ替えて凌ぐしかないと咄嗟に決心した。
 最後に大きなおまけがついてしまった。集合時間にまだ早いが、閉館時間で出るしかない。近くを歩いてみることにしたのが間違いのもとであった。交差点を渡るとき、家内がつまずいてしまった。電車道の横断歩道は凸凹の石畳で足場が悪い。写真を撮っていて足下がおろそかになってしまったのだ。右手と右膝を打ってしまった。ピアノをやり過ぎた腱鞘炎用に貼り薬を持っていたので、直ぐに張りハンカチで縛った。かなり痛いらしい。後で分かったのだが、右薬指の靭帯損傷。いまだに完治しない。余談だが、右手が使えないので食器などの洗い物は全て任されてしまった。今では、すっかり慣れてしまい自発的に洗ってしまう。これからの介護のことを考えると悪くはないと思うことにしている。

 アムステルダムから北へ、広大な国立公園内のゴッホの森美術館(ク泥炭を掘った跡の水路レラーミュラー)を目指す。現代の風車(風力発電用)が林立しているが、エコだと思うが興ざめなのはやむを得ないのだろう。バスの窓から見る雲も縞模様で面白い形に飽きない。
 大富豪が個人的に収集したものが中心になっている。最後は、経済的に行き詰まり、国有化された美術館。ゴッホから現代絵画、そして彫刻が広い庭に配置されていて、オゾンを一杯吸い込める美術館だ。
 針葉樹が多いせいか、緑も深い森の中のモダンな平屋の建屋が朝の光を受けて美しい。木の幹がシルエットになって縦縞模様になって建物の壁をキャンバスにして写している。フラッシュは厳禁だが写真撮影自由というのは嬉しい限りだ。ここには、ゴッホ美術館にない有名なゴッホ作品が何点も展示されている。アルルのはね橋、写実的な自画像、夜のカフェテラス、糸杉など。一切、柵もなく10センチ近くに顔を寄せても文句がでない。皆さん、好みの名画と並んで写真に収まっている。もしかして模写かなとも思ったがすぐ忘れた。結構、思い出深い記念になった。みんな満ち足りたおすましの顔で写真に収まっている。印刷するときに、どうしても画像調整は必要である。絵を中心にするか、顔を中心にするかで調整の程度が変わってくるが。
今や高級住宅街 午後は、かつて泥炭を掘った跡が水路となっていて、住宅地が点在しているヒートホールン。ゴッホの初期の作品に泥炭を拾い集めている人物を描いた暗いイメージの絵がある。労働の辛さが伝わって来る。今は、水路で区画された高級住宅地になっている。泥炭を掘った跡に水が溜まったもので水深は浅く、水は焦げ茶色に濁って見える。水路を縫って小舟で遊覧していく。太陽の光がふりそそいでいる。思わず絵になるのではと、盛んにシャッターを押していた。
 バスに乗り込む時間に、突然チーズ売りのライトバンが現れた。確かに安いし、一つの固まりが大きい。お土産にいいなと思ったが、1キロ以上ありそうだ。また、荷物の重量が気になる。何とかなるだろうと、食い気に押されてクミン入を買ってしまった。
 今夜の夕食は、ライトアップされたアムステルダム駅前にある年季の入ったレストラン。角の店などは根太が腐ってか傾きかけているが営業している。スポットライトにあたっていると余計風情が沸いてくるが気になる。地震が起きないのだろうが、日本では考えられない姿だ。とっくに立て替えなくてはならないだろう。夕飯のポテトとフランクフルトは大盛りで、見ただけで満腹になってしまう。
 今夜がオランダでの最後の夜、道を横断するときは自転車レーンがありかなりスピードを出しているので要注意。何度も注意された。それだけ、不注意で事故になるケースが多いのだろうか。大分、注意深くなって来たようだ。

 最後の日は、天気も安定していて穏やかだった。ゴッホ美術館近くの国立博物館とダイヤモンド工房を見学して、全ての日程が終了する。
 国立博物館の売りは、何と言ってもレンブラントの世界3大名画の一つ「夜警」である。現物を見るまでは、恥ずかしながら「夜景」だと思っていた。夜の警備、自警団員の集合写真・集団肖像画である。その当時は、絵は注文があって描かれていた。注文主たちの意向に沿って顔・姿をそっくりさんに描くことが要求された。今で言う記念写真である。豊かな市民が自分の姿を残そうとしたのだ。芸術的に描いて欲しいとは思っていない。いかにリアルに描くかが売れるかどうかの分かれ道であった。そこに、自由な市民台頭の時代背景があったとの説明だ。
 最後のダイヤモンド工房は、最近のカット技術の話が日本人からあり、研磨過程を見学したが、別に見なくてもよいスポットであった。ダイヤを買うのを目的にしていた人もいた。外庭には、工房の赤い送迎バスが停まっていた。今回の旅行はすべて終わったという感慨にしてくれた。


 12月に入り、突然知り合いの書店主から電話をもらった。1月中頃から一ヶ月間、絵を七枚店に飾ってくれないかとの話だった。店を展示できるように改装して、小さな集まりのスポットにしたいという主旨は聞いていた。
 それから間に合わすために、大車輪でオランダ・ベルギーをモチーフにした絵を、写真を見ながら描き始めた。なんとかなると言い聞かせながら。昨年までは、年に3,4点しか完成品は描いていないというよりは、描けなかったというのが正しい。まともに仕上がる方が少ない。失敗して、黒ずんでしまい見られるものではなかった。

 6月にスイスに行って以来、失敗が少なくなっているのを感じていた。取りかかる前は、いつも収まり着くかなと思いながら描き出す。
 初めてのモチーフの[夜]は本当は無謀であったと思うが、満足いくものではないが何とかなった。レンガの質感、ゴシック建物の飾りなども新しい挑戦だった。正直、10年の習練の重みと買い込んでおいた画集が助けてくれたとしみじみと実感していた。
 結局、旅行記を書き始めたのは、2月に入ってからだ。書き出すまでに大変なエネルギーの充填が必要だった。このまま書くのを止めてしまうと、10年続けた文章修行がダメになってしまうのではという危惧が後押ししてくれた。教室の展示3点、書店の展示に7点と何とか目標を達成して、少し余裕が出てきてこの冊子を書き終えた。


 10年の重さと絵を展示するチャンスを与えられたことに、あらためて感謝している。触ると幸せになるセルクラークのブロンズ像のお陰かもしれない。

 次の機会には、たとえ少しでもさらに前進できるのではと思っている。 (完)


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