北 欧 旅 日 記 
(その1)


M I (自治会員の方です)



     
       







まえがき

 趣味の編み物、織物を通して知った憧れの国「北欧へ行ってみたい」と
何気なく言ったのを聞いた夫が、
  <不良少女モニカ>   <夏の夜は三たび微笑む>
  <令嬢ジュリー>    <処女の泉>
など長年にわたる趣味の映画で知っているので行ってみたいと常々考えていた
とのこと。
思い立って2人の長年の夢が叶った。

   @ノールカップに立つ
   Aフィヨルドを見る
   B編み物、織物に関する事に出会う

の三点を重点に入れて1 7日間の手作りの旅のスケジュールを2ヶ月位かけて
夫が作成した。

 東京にある北欧の政府観光局や「地球の歩き方」を参考に、初めは北欧
4カ国を計画したが、僅か2週間ではゆっくりした旅は無理のようであり、
結局スウエーデンとノールウェイの2カ国の旅となった。
政府観光局で列車やバスの時刻表などが手に入ったので、日本にいながらに
してほとんど、旅行の日程は作ることが出来た。

 ノールカップまではトントコトン、トントコトン列車とバスで北へ北へ
片道一週間掛け、帰りは飛行機と列車の旅を計画した。
夏至の頃が良い季節とのことであり、白夜も体験したかったので旅行の時期は
6月とし、荷物は出来るだけ少なくするように考え、普段着の服装を心掛けた。
 移動が楽なように、小さいバックひとつ、それにリックサックをひとつずつ、という簡単な身のまわりにした。
大人になってからリックサックを背負うのは初めてで、よい年令の2人づれにはすこし気恥ずかしいことではあったが、この際身軽さには代えられない。
 このようなことで、いよいよ梅雨の日本を後にして、たった二人の北欧の旅が始った。



1 9 9 4年(平成6年) 6月9日(木)
 今日から梅雨に入った日本をあとに1 4時5分成田発ルフトハンザドイツ航空便で
フランクフルトへ。 (約1 1時間の飛行時間)
飛び立ってから1時間もたったろうか梅雨の雲はすっかり消えて高度何万mの上空は
雲海に太陽が射し、正に銀光の波、感動のあまり飽かず見いる。
                                                      しろがね   なみ
  −− 飛行機の窓よりみれば雲海は朝日を受けて銀光の濤 −−

 飛行機の隣座席には、スペインの人がいた。神戸で真珠の買い付けをしに日本に
来て、これからスペインへ帰るところと言う。フランクフルトで乗換えて
マドリッドへという、予定のようだ。
何時間たっても太陽は輝き、夕食も夜食も終りやむなく窓のシャッターを降ろした。
本を読む人、映画を見る人 (封切りを2本上映)、寝る人とさまざま。
モニタ-テレビに時々現在の進路と温度が表示される。シベリヤ上空はマイナス5 4度Fで
想像もつかない寒さ、父がソ連に捕虜になり強制労働させられたエラプカの地を
5 0年後に欧州観光旅行で私がその上空を飛ぼうとは夢にも思わなかった。
平和な時代だと改めて思い、父の捕虜の手記「エラブカ」を思いだし感慨無量。

  −− 捕虜たりし父が耐えたるシベリヤの上空飛べば零下五十四度F −−

1 8時5 5分フランクフルト空港に到着。(日本時間は午前2時頃)
眠いのを堪えて中央駅へ行くホームの方へ歩いていたらショップのウインドーに大判の
花柄のセーターが並んであるのを見て眠気が覚めた。
 いよいよ2人旅のスタ-ト、中央駅までの切符を買うのに券売機の前で迷っていたら、たまたま居合わせた日本人が教えてくれた。コインきり使えないとのこと、両替した
のは、紙幣だけと言ったら「いくらでもないから」と2人分のコインをだしてくれた。
当地に赴任しているらしい中年の男性による海外旅行での第一番目の親切に感謝。
車内は広く座席も高い。吊り広告はないがそこかしこに大きい落書きが目につく。
中央駅には1 0分で着いた。
大きく古い駅でドームのようだ、PANASONICの大きな文字が真正面に見える。
駅を出ると古くどっしりした建物が目前に迫る。ホテルを探しがてら駅周辺を歩く。
午後9時近くなのにまだまだ明るい。なかなか予約してあるモノポールホテルが見付
からないので、工事をしていた人に聞いたら、駅の隣のビルを指してくれた。
フロントで「ミスターイケダ?」と聞かれた。 到着が遅いので心配して
待っていてくれたらしい。案内された部屋は天井が高く広々としていて、古いが
磨きが掛かっている。
家を出てから、2 4時間振りで足を延ばした。




 6月1 0日(金)
 朝早いが朝食をとってホテルを出たら、雨の中にカラフルな車が目に入った。
ベンツのダストカーで大きな音をたててホテルのゴミを収集している。流石ドイツ。
7時前に中央駅に着く、人はまばらだが売店は開いている。7時1 3分発の電車に
乗りたい。
券売機にコインがいるのでケントを一つ買いおつりをもらったが、2人分には少し足 り
ないので、アメリカドルを両替機に入れたら、ドイツマルクが出てきた。空港まで の
切符がやっと買えた。安心して電車へ、車内のいたるところに落書きのなんと多い
こと、でも漫画のようなので見ていても楽しい。
 昨日到着したフランクフルト空港を出発して2時間でストックホルムへ着いた。

  −− 夫と吾を迎えくれるは夜半の陽と青空深きストックホルム −−

入国の時係員が「コンニチハ」と言って日本語のプリントを1枚くれた。
スエーデン警察からの注意事項で盗難に気を付けるようにとの注意書きだ。
両替をしてからインフオメーションへ中央駅への行き方を聞いたらバスストップを
教えてくれた。
 料金が分からなく紙幣を手に因っていると後ろに並んでいた紳士が紙幣の1枚を
指さして教えてくれた。1人約1 000円、所要時間は1時間位。
晴れ上がった高い空に大きい真っ白な雲、浅黄色の平野が続く。
気温は2 0度位に感じた。
 空気の澄んだ抜けるような空を仰ぎながら、北欧に来た実感に浸る。
途中広い平野の中に富士通やスズキのこじんまりとした社宅が見え何となく親近感を
覚える。
中央駅に着きインフォメ-シヨンで明日の列車の予約をしようと暫く話していたが
思うように通じない。
ひとまずホテルへと、予約しておいたホテルアンドパワーズは駅から徒歩数分位で
すぐ分かった。
 ストックホルムの建物は古く重々しい。寺院や教会が青空に聳えて素晴らしい。
当ホテルのインフオメーンョンで明日行くスエーデンのオステルサンドへの列車や
ホテルのことを聞いたら、応対したひとがなかなか理解出来ない。
旅行社の日本語が解る人を紹介するので1 8時過になるが来たらTELしますとのこと。

 −− 中世の未だ息づく旧市街スエーデンアカデミーに夜の陽うらら −−

ガムラスタンへの橋 14時過ぎホテルから近いガムラスタン(旧市街)へ。
(左の写真はガムラスタンへの橋)
王宮、漆喰の禿げた建物、磨り減った石畳など歴史の
古さを物語っている。小さなショツプがびっしり
並んでいる。間口は狭いが奥行きは深い。
ウインドーに手編みのセ-タ-をみつけたので奥へ
入ると1人だけの女店員が編み物をしていた。
編み方は私と違う、イギリス編みかしらと聞きたい
のに言葉が出来なくて残念。

 古書店があったのでお店へ入った。入り口は小さく感じたが店内は広い。
びっしり積まれた古本の中から、夫は分厚い映画の本を見付け早速買い求めた。
18時近くなのにまだまだ陽は高いが,一先ずホテルヘ戻る。
 先の旅行社の人から18時にTELが入る。夫が日本語で細かく説明したら、
20時半にホテルへ列車の切符と明日泊まるホテルの予約券を持って来てくれた。
夫が話しを済ませて安心した顔で部屋に戻ったのは2 1時半頃だった。とても日本語の
上手な現地の人で、色々細かく話してくれたとのこと、その間私は熟睡してしまい疲れ
がとれて壮快。
22時食事をしに再度ガムラスタンへ、だんだん暗くなって来た街は又感じが違って
いた。だいぶ寒くなってきた。乳母車に毛布で包まれた赤ちゃんを2人乗せてロング
コ-トを着たママが2人ウインドショッピングを楽しんでいる。まだまだ賑わう街を
1時間位歩いたが適当な所が見付からない。日本食のお店が1軒あったが込んでいたのでホテルへもどった。レストランはまだ閉めてなかった。閉店まで40分位ある。
だいぶ歩いて喉は乾いたしお腹もすいたので、取り敢えずビールで無事に憧れの北欧の
地に着いたのを祝して乾杯。生サーモンが美味しかった。
食後にホテルのバーへ、ピアノの前の2人掛けのテープルに座る。
(ゆったりしていて私なら2人は座れそう)
 ラスト演奏をするためミュージシャンがピアノを弾き始めた。
夫が「セフテンバ-ソング」をリクエストしたら楽譜もなしで私達の方を見ながら、
ニコニコと、笑顔で弾いてくれた。弾き終わってから「スキヤキソング」を
さらにプレゼントしてくれたので、お礼にとカクテルをウェイターに頼んでピアノの
所へはこんでもらったら「さくらさくら」を弾いてから、グラスを上げてくれた。

  ストックホルムのレストランにて杯とれば「さくらさくら」を奏でくれおり

その後 2、3曲弾き終わってグラスを持って私達の席へ。日本語で「乾杯」と
言われてピックリ。話を聞くと、彼はアメリカ人で父がマジシャンだったので
子供の頃に日本へ行き、東京、横浜、大阪、神戸、四国そして札幌と回ったとのこと。
とても日本語が上手、話しが弾んでいたら閉店時間になり「ドウモアリガトウ、
サヨウナラ」「さようなら」と握手をして別れた。
 北欧の土を踏んだ第一日目に2人の日本語を話せる外国人に会えるとは、
ツアーだったら味わえない大切な思い出となった。
温かさ、優しさをもった人との出会いはとても素晴らしく貴重に思えた。




 6月1 1日(土)
 ストックホルム発の列車でオステルサンドへ。朝が早いのでキヨスクにて朝食の
サンドイツチと飲み物、色んな種類のチョコレートの秤売り500g程をカゴに入れた。
レジ嬢は、ゆっくり打ちながら私に微笑みかける。お国柄が感じられた。
7時13分定刻に発車、広い車内の通路側に夫と向かい会って座る、対話が出来るのと
移動するのに便利なので。
背の高い人と、小柄な老婦人が隣に座った。
 昨日の事を忘れないうちにと思いメモ用紙に書き出した。暫くして婦人達と夫が話し
始めた。ポルトガル人で学会に出席するためにストックホルムに来たと言う。
飾りけの無い、杖をついていた背の高いおばあちゃまはなんとお医者さんで、
小柄の人はお世話する方とのこと。そう言えば老眼鏡をかけて分厚い書類に目を
通したり、学会新聞を読んだりしている姿は、流石にどうどうとしている。
メモをしている私を見て、ライターかと聞いてたよと夫は笑いながら言った。
  (その言葉が頭の隅にあって帰国してからメモと記憶を頼りに原稿を書いた。
 今それをワープロで、打つとは思いもしなかった。あの女医さんのおかげ、
 今も元気で活躍なさっていることを願う。)
それからのニックネームは「ライターさん」だが、悲しいかな英会話は全く出来ない。
でも表情や手振りでなんとか通じるものだ。
長崎へ来たシーボルトのことや、ポルトガル語が日本語として定着したことなどを
カタコトの英会話で話しているうちにオステルサンド駅に1 3時半到着。

  −− カタコトの英語なれども事足りて心温みつ北の国行く −−

6時間余りがとても短く感じた。女医さんたちと握手をして別れた。
オステルサンド駅(左の写真はオステルサンド駅)
 かわいい駅だ。インフォメーションにて明日の行き
先を確かめたが、昨日旅行社が渡してくれた列車の
切符のうち、2枚は路線が違うので無駄になった。
でも手作りの旅の授業料と思えばしかたがない。
駅をでると淡い緑の樹々が美しい。駅前の花壇には
紫の中に黄色でO(オ-)を図案化したパンジーが植えて
ありとてもきれいだ。
こじんまりした町をホテルを探しながら暫く歩く、
ここまで来ると日本人には全然会わない。
たった2人のちいさな外人が地図を頼りにどこを探しているのかと思っただろう。
暫くして立ち話を終えた女性に尋ねたら親切に教えてくれたので3分位で
ホテル・ウィーンへ着いた。
 部屋に入ったのが15時頃、ほっとしたら疲れがどっと出てぐっすり寝てしまった。
目が覚めたら20時を少し回っていた、2人共すっかり元気になりお腹も空いてきたので、ディナーは当ホテルにした。
 素敵な燭台がテ-プルごとに置いである、2人用に座ったら蝋燭に火を灯してくれた。
早速ビールでここまで無事に来れたことに乾杯、ステーキを頼んだらじゃがバターが
付いてきた。本場のじゃがいもとバターのなんと美味しかったこと、ステーキも
とろけるよう。味も私達の口によくあっている。
周囲が段々暗くなりだして来る。ほぼ満員になったテープルの大小の蝋燭の火がゆれて
とても美しい。
近くのテープルには14、5人の男女がティとケーキでお喋りに花が咲いていたと思っ
たら急に素晴らしいコーラスが流れてきた。
2、3曲歌つてはまたお喋りと楽しそう、どうも聖歌隊のグループらしい。
美味しい食事と思いがけないコーラスを満喫しているうちに時間の経つのも忘れて
しまった。小な町の小なホテルでのひと時が大きな思い出としていつまでも心に残る
だろう。22時頃部屋に戻る。
 翌朝、突然夫の大きい声で飛び起きた。時計を見たら7時半、6時4 5分発の列車に
乗ることになっていたのに、2人共慌てたがどうしようもない、でも外は暗い。
時計を見直したら、なんだ寝ぼけて逆さに見ていたのだった。
2人とも同じに見るとは・・・・・。
 ほっとしてまた1時間程「お休みなさい」。




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